歴史


初代 伊藤金之丞が趣味の狩猟中に、動物が集まっている泉を見つけました。ためしにと泉の水を傷に浸けたところ、みるみると傷が治っていき、この水から大正元年7月に湯治場を築いたのが始まりとされています。
創業よりはるか昔からも動物たちが傷を癒していたという言い伝えがあるほどの源泉であり、百余年の歴史と共に、さまざまなお客様や関係者の方々に愛され支えられております。

名前の由来

当湯より15分ほど登った山の中腹に石があり、山の斜面にむき出しになっています。(幅は約20m、高さ12~15mほどのほとんど岩に近い)

その昔、雨などによって濡れた岩肌に日光が反射して、鏡のように見えたところから鏡石と名付けられ、やがて地名につけられたと云われています。正式には当湯の住所は川辺町野崎字鏡石(かわなべちょうのさきあざかがみいし)ですが、字鏡石は現在は使用しておりません。

現在は杉が植林され、石の姿は当湯から直接見ることはできませんが、平成19年11月に川辺町史談会 青屋昌興さん、中迎博美さんによる調査が行われ、鏡石についての文書と写真が当湯の脱衣所のございます。

昭和30年代の写真になります。

当時は交通の便が悪く、鹿児島市坂之上から3時間かけて歩いて来られるお客様もいたそうです。

また湯治のお客様用宿場として、向かって右側の建物と左側建物の2階を使用していました。

宿泊は交通事情の改善により利用者が減少したため昭和30年に廃止しました。

浴場は左奥の別棟にあり、この頃は鏡石もまだ見えていました。

昭和40年頃に奥にあった浴場と左側の建物をお客様用の休憩所と受付に改築。

昭和54年頃に右側建物を自宅に改築しました。

写真は平成2年撮影。

平成3年の新築後に撮影。

国道拡張工事のため建て替えし、現在に至っています。

新築に伴い、受付・浴場・休憩所を1つの建物にまとめ、浴場にはサウナ・水風呂・一般浴を新設しました。